君へ触れるほど近く
そして そのくせ
どこよりも遠いへだたりがあるように
尊敬の気持ちで
どこよりも遠いへだたりがあるように
尊敬の気持ちで
近ければ近いほど
遠いところにいる人のように
接することが大切で
遠い人ほど他人ほど
一瞬だけ出会う人ほど
親しげに
心をひらく ----本より抜粋
遠いところにいる人のように
接することが大切で
遠い人ほど他人ほど
一瞬だけ出会う人ほど
親しげに
心をひらく ----本より抜粋
今のその街に暮らしたり、そこでないどこかへ行ったとき思う嬉しさは
一体なんでしょうか。
その街に暮らすことはもう当たり前のようで理由はないように、思えたり
好きで選んだわけではないかもしれないけれど
それでも。
東京と、ここ。
それぞれ
洗練された店たちと、もう大差のない価格
消費者として生きる都市の彩度は、双方、変わりはないのだと感じさせます。
この間の夜のこと。
エレベーターの扉が開いたとき、洗濯ものを腕いっぱいに抱えた男性が
先に乗っていました。
ほんの少しの沈黙のあと、英語を話すその人は
「ごめんね、こんな格好で。」と言いました。
「出てしまう事がおおいから、間に合わなくって」
そこから、エレベーターが下につくまで
どんな出張があって、いままで互いがどこに住んでいたかを話し、
それが同じ
シンガポールだったことに少し驚いたり、住んでいた街の名前を言い合いました。
この国で暮らすことをどう感じている?
とも聞かれました。
そんな話しをしながら玄関を出て、その人は名前を言い
私も自分の名前を言って、手を繋いで隣を歩く
私とよく似た発音の、息子の名前も言いました。
話せてよかったね。
といってランドリーの前で、その会話は終わりました。
「ごめんね、こんな格好で。」
日本人である私が、
東京で不意に切り出せる会話のスタートではないと思いました。
そんな風にして話しを始められるその人、というよりは
そんな風な会話の糸口そのものが
とっても素敵だと思いました。
そして、これなんじゃないか、と思いました。
もう仲のよい人や
親しくなる前提の輪に入っていくことと全然別の
ほんの一瞬だけ交わされる流れ星のような会話と
それが生まれるその瞬間
私はきっと、そこに何かの基準と喜びをおいている。
まだ私の名前を呼ぶ人の殆どいないこの国のある夜に
そんな気持ちを確かめたのでした。
Love,
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