2014/04/20

眼差しだけで


通りる道に花屋さんがあります。



 
バケツいっぱいの薔薇が気になり、ある日いくらか聞いてみると

 




1本30円欠ける程で、驚きながら





その日は濃いめのピンクを12本買ってかえりました。
 

 



家族や親戚皆でお花屋さんをしてるのか





その路地にそれなりの人数の店員さん?がいるのですが





興味津々な眼差しで私と息子を見つめてくれた若い女の子が印象的でした。





程なくした夜に、またお店の前を通ると






その晩はその女の子だったので、薄いピンクの薔薇を10本買うことにしました。






なんだかとっても嬉しそうにはにかんで




 
バランスをみながら、バケツから1本1本薔薇をゆっくり引き抜く仕草と






お化粧を全くしていない横顔を交互に見つめ、






実は彼女がとても美人な事に気づきながら





10本目まで待っていました。





短く切ってくださいといったとき






後ろからお化粧をした男性がパッとお花を取り上げて




 
わたしがやるわよ的に、カットして、包みはじめました。





おそらく、"どうして持ってっちゃうのよ?" といった





ちょっと楽しい内輪の会話をしていると思われ、合間に





持っていかれちゃった。





といった眼差しを、肩をすくめて私と息子にやる彼女。





お化粧男子から花束になった薔薇が息子に手渡され、





お国の言葉を話さぬ私と





英語を話さぬ彼女と





何度もバイバイとだけ言いあってから、そこをあとにしました。




 


交信しあった『好意』は
 




夏の夜風と同様気分がよく






またそれは





眼差しだけで、互いに





これほどにも意図しあえるのか。と、






10本の薔薇のくれた時間と







交わされなかった会話の中に






柔らかく知らされた夜でした。







Love,

マクロな思い

業務用の買い出し。に専門店へ出向いたり





大型スーパーについていかせてもらう機会がありました。




マクロマーケット。名前からして、です。やはり広いです。



業務用のものもありますが、家庭のものも何でもあり、



主婦のはしくれとして意気込むのですが



マクロではない自分を発見するハメに・・・なりました。



周りの方々は、バナナにしても5房、とか



樽のようなデカイ洗剤。とか大量に買っていて。



何人家族の何日分?と眺めながら



日本でコストコのカードも無駄にした事も絡めて思い出されて



ちょっと敗北感です。




さてさて



このスーパーにはレジ袋はなしです。





私、鞄が好きな延長で、買わずにおられぬ、エコバック大臣です
 




手前のボルドーのステューシーリビング。



これを見た時にはステューシーでもエコバック!!と、血が騒ぎました。




小さくなるこれが、いまは鞄にいつも入っています。




そんなエコバック狂いの私へ、友達からも寄せられたものたちの1部




どれにもその時した会話や、それをもらうに至ったエピソードがあり




1つ1つ思い出すのですが




ビルケンのこれは




私の引っ越しの荷造りの最中に、『あげるね。』と、おもむろに貰った




・・・とゆうより握らせてくれた。とゆうような感じでした。




それは私が、その前週その子に、可愛いね。と言ったのをうけて

 



なんかもうよくわからないストームの中で




その友達は



「とにかく達者で。」って、




ぎゅっと、取り敢えずおにぎりを手にもたせちゃう衝動みたいな、おそらくそんな感覚だっただろうなと。




今、思い返します。



引っ越しのエピソードは、実際そこにいてくれた友人たちと



私が話をした人にしかわからない




結構壮絶な短距離ドラマなのですが




本当に素晴らしい友人の深いところの心を




感じさせてもらった、特別な数日であった。




と、約1年経って思いかえすにつけ




やはりどんな事も




"そののち"に、心に残され、取り出され、おもいだされるのは




渦中の暗闇より、闇に得た光 なのだ。と、思うのです。






『闇により、光が見える』などとよく格言的に言われるあたりについても、





そこに発光してくれていた友人らに感謝を込めて。



それが嘘ではないとわかる。と、言えるような気が、ちょっと、するのです。




・・・エコバックから、だいぶ派生してしまいました。





エコバック1つで、うっかり馳せれる思いだけがマクロです。



Love,


 

2014/04/12

帽子とハッピー


Because I’m happy
Clap along if you know what happiness is to you

              ----PHARRLL WILLIAMS ”HAPPY”



スーパーのある一角に、それは素敵な帽子とアクセサリーの専門店が。




私は、帽子をかぶるのが、ここ数年好きです。




頭に何かを乗せるのが好きです。けど そんなシーンって誕生日ぐらいしか





ゆるされないから、まあ、帽子です。





帽子専門店に置かれた商品はどれも質の良さが雰囲気にあらわれており




値段にもちゃんと、あらわれておりました。




特に素敵で、





何度も見てしまったのはこれなのですが。






こんなの日常に取り入れている人いるのかな。と




自分が取り入れられない悔しさも共におもいながら、帰りました




数日経って、大きなモールに行った日




そんな帽子をいくつも目にしました。




だいたいドレスと一緒なのですが、ドレスを着ている人も、やっぱりこんな





ヘッドドレスを頭に纏っている人も、まだ見かけないけどね、と






負け惜しみながら、それでも欲しいような気もしながら帰りました。




さて




ある平日、大事な用事を済ませてほっとして、住んでいる街の





結構素敵なカフェにはいりました。




ほどよく色々な国の人々が混ざり合って、其々悠々お昼を楽しんでいたその店の




私から遠く離れているけど正面の席に




なんと、例のヘッドドレスを頭に載せた人が食事をしていました。




色はグリーン。黒の、肩のひらいたワンピースを着ていました。




どこの国籍か、一見でわからないような顔立ちと、大人っぽくも




若々しくもあるような雰囲気のその人は、一人で食事をとって




出て行きました。 




なんとなく多分、同じくらいの年齢なんじゃないかとも思い




だから何だというワケではないのですが、ふとハッピーになりました




その日はその人にとって非日常イベントだったのかもしれないし




日常だったのかもしれないし




知る由もないけれど。




あれを纏って、そんなにも自然。




というところが私のハッピーのツボでした。




ハッピーって、子供の成長をじんわりと感じたり




充実した人生を噛み締める。というところが一種王道かもしれないけれど




なんとなくパッと、いきなり来るときもあるもんですよね?




ハッピーが飛び込んで来るって、おかしいけれど




なんていうか、ひらめきみたいに。





例えば曇りがちのお天気にも、急に日が差し込むときもあるみたいに。





はて、




頷いている人も、いますでしょうか・・・。






貴方に飛び込んだ、最近の”それ”は、なんでしょうか?






最後に、そんな飛び込んでくるHappyを。






幸せを歌う、Pharrellの着るシャツから身のこなしの隅々に至るまで、




もちろん帽子の一つ一つも




見ても見てもいつだって、




ホントに目が離せません。




Love,

2014/04/05

街とへだたり、こころのひかり


君へ触れるほど近く
そして そのくせ
どこよりも遠いへだたりがあるように 
尊敬の気持ちで


近ければ近いほど
遠いところにいる人のように
接することが大切で

遠い人ほど他人ほど
一瞬だけ出会う人ほど
親しげに
心をひらく     ----本より抜粋

 

 
今のその街に暮らしたり、そこでないどこかへ行ったとき思う嬉しさは

 

 

一体なんでしょうか。

 

 

その街に暮らすことはもう当たり前のようで理由はないように、思えたり

 

 

好きで選んだわけではないかもしれないけれど

 

 

それでも。

 

 

東京と、ここ。

 
 
 

 

それぞれ
 
 
 
 
 
 
 
洗練された店たちと、もう大差のない価格

 


 

消費者として生きる都市の彩度は、双方、変わりはないのだと感じさせます。

 

 

この間の夜のこと。

 

 

エレベーターの扉が開いたとき、洗濯ものを腕いっぱいに抱えた男性が

 

 

先に乗っていました。

 

 

ほんの少しの沈黙のあと、英語を話すその人は

 

 
 

「ごめんね、こんな格好で。」と言いました。

 

 

「出てしまう事がおおいから、間に合わなくって」

 

 

そこから、エレベーターが下につくまで

 

 

どんな出張があって、いままで互いがどこに住んでいたかを話し、
 
 
 
 
 
 
それが同じ

 

 

シンガポールだったことに少し驚いたり、住んでいた街の名前を言い合いました。

 

 

この国で暮らすことをどう感じている?

 

 

とも聞かれました。

 

 

そんな話しをしながら玄関を出て、その人は名前を言い

 

 

私も自分の名前を言って、手を繋いで隣を歩く

 

 

私とよく似た発音の、息子の名前も言いました。

 

 

話せてよかったね。

 

 

といってランドリーの前で、その会話は終わりました。

 

 

「ごめんね、こんな格好で。」

 

 

日本人である私が、

 

 

東京で不意に切り出せる会話のスタートではないと思いました。

 

 

そんな風にして話しを始められるその人、というよりは

 

 

そんな風な会話の糸口そのものが

 

 

とっても素敵だと思いました。

 

 

そして、これなんじゃないか、と思いました。

 

 

もう仲のよい人や

 

 

親しくなる前提の輪に入っていくことと全然別の

 

 

 

ほんの一瞬だけ交わされる流れ星のような会話と

 

 

それが生まれるその瞬間

 

 

私はきっと、そこに何かの基準と喜びをおいている。

 

 

まだ私の名前を呼ぶ人の殆どいないこの国のある夜

 

 

そんな気持ちを確かめたのでした。
 
 
 
 
Love,