2011/05/31

ワタシの英語、そして日本語

人の品性とはその多くが、会話に遣う「言葉」で決まる。
ただしそれは「敬語をよく知っていて上手に使えること」でははい。
むしろもっと日常の、主に家庭内で使われる言葉の質にこそ
品性が示されるのだ。
また逆に、毎日使うその言葉が
人の体の中に新しい品性をを育てていくのである。
つまり生涯その繰り返しで、人間の品質が決まっていくのだ。---本より抜粋




今週から1ヶ月、息子の園では私服での登園の期間が設けられました。



制服がパッとはまって、凛とした雰囲気を持った人って必ず居ます。



ワタシ自身に限って言えば、あまり制服がしっくりくる雰囲気ではなく



勝手に息子もあんまり「制服顔」じゃないな。と思っているので



この1ヶ月はいいブレイクだと思います。




だいぶ昔の話になりますが、ワタシが通っていた高校は、




「制服でも私服でもいい」 というポリシーで




そのフレキシブルな所が最高に好きでした。




さて、学校繋がりで・・・




現在ワタシ、クラスを受講中です。





”英語で日本語を教える”全10回というもの。





たった10回取ったところでどうなの?・・・と半信半疑で向かったクラス。





昨日3回目を終えてきましたが、これがすっごくイイ感じです。





先生は日本人で、星に住んで何十年というお方。





はい、いいですか?こうですよ?という感じで進めていくスタイルではなく





どちらかと言うと延々と先生が楽しくお話をなさりながら、





その間で質問やそれぞれの体験なんかも聞かれる形式で進んでいきます。





ノートに纏める事を先生が書いてくださるわけでもないので





自分で話を聞きながらノートを取っていますが





ワタシが一番初めにコレは!と思って書き留めた先生の言葉は




”自分の中にある日本語を意識する事が大切”




と、いうフレーズでした。 これは胸に響きました。




ワタシは、理数系は本当に駄目でしたし、今も駄目ですが、




歴史も弱くて情け無いですが




中学では、アクセントやイントネーションに凄く執着していた先生のおかげで




英語が本当に楽しく




高校では、「予備校に負けない授業をする」なんて仰った先生のおかげで




現代国語が、本当に本当に好きでした。




この2つが掛け合わさったような、今のクラス。




果てしなく、深い日本語。




大事な事は、言葉じゃないさ。って、それもまた真実でありつつ




”あの時、あの言葉が救ってくれた”って経験、




誰しも、やっぱりあると思うんです。




自分の中の日本語。




これを客観的に見つめる本当にいい時間になっています。





そして、ワタシが ”言葉”が好きな道の最初をつくってくれた、



母と、そしてあの日の絵本の数々を思ったりもします。




Love,





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4 件のコメント:

  1. こんにちは。
    勉強してるなんて、えらいなー。
    私もPrintyさんを見習わないと!

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  2. Yukoさん、とんでもないデスよ。お子さんがいらしてネイリストさんという事私こそリスペクトです^^

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  3. 自分の中の日本語を意識する・・・深いわぁ。

    以前住んでいた家のお隣のおばあちゃんがね、それは美しい日本語だった。無形何とか財とか、そんなのに指定したいような、樋口一葉の小説に出てきそうな、そんな日本語。冒頭の、「むしろもっと日常の、主に家庭内で使われる言葉の質にこそ
    品性が示されるのだ。」という言葉にも、ひざポン!納得。

    私が日ごろ、ちょくちょく反省している(わりには直らない)ことは、言葉を使いすぎること。知ってることをすぐ言いたくなる。覚えたての生かじりの言葉をすぐに使いたくなる。相手が言うのを待たない。「つまりそれは・・・」でまとめたくなる(笑)

    そんなことじゃなく、もっとリラックスした居心地のいい雰囲気になれるような言葉の使い方をしたい。香水バンバン振り掛けるんじゃなく、ほんのり気付かないていどに香っていて、なんだか気分がいいと思えるような。そんな感じ。

    お隣のおばあちゃん、元気かな。憧れだったなぁ。

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  4. Kazue さん

    そういう存在の人が近すぎず遠からず、時々そっと香りが漂うような
    場所にいてくれたのは幸運なことだよねえ。
    私が日頃、というくだりは、そんな風に思ったことはないよ。
    むしろ、年取ってくると(笑)アレアレ、おくさん、そうそうそう。で
    済まされる語彙の少なさでじゅうぶん楽しめちゃったりして、それが良くないっていうかさ、なんていうのかな、おばさんとして屈強になりすぎちゃう
    みたいなの、ない?だから新しい言葉を入れてもらうっていうのは凄く刺激になるもんだよ。私はいつもKazueさんに会うとそういう気持ちになって帰ってくるよ。そういうヒントって次に自分が使えちゃったりするんだよ。
    「つまりそれは」楽しみにしてます!

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